
真のスペシャリストとして、お客様と走り続ける。
- 時代背景
- 会社の歩み
- 1950
- 昭和25年
- 琉球放送局放送開始
- 那覇市開南で光文堂印刷所創業。
社長外間政憲、元入金15万円(B円)。従業員数3名。
- 1953
- 28年
- ニクソン米副大統領来沖
- 那覇市牧志に社屋移転。(延べ面積216平方メートル)
- 1958
- 33年
- B円と米国ドル交換実施
- 民営たばこ3社設立に伴い、たばこ包か用紙印刷開始。
- 1966
- 41年
- 全琉の人口93万人
- 那覇市上之屋に社屋移転。(延べ面積1,221平方メートル)
オリオンビール(株)のラベル印刷指定工場となる。
- 1971
- 46年
- 1ドル=308円となる
- 琉球電電公社の電話帳印刷指定工場となる。
- 1972
- 47年
- 沖縄返還
- 製版部門を分離し、総合プロセス製版(株)を設立 日本専売公社の指定工場となる。
- 1973
- 48年
- 第1次石油ショック
- 沖縄印刷工業団地完成に伴い、南風原町兼城577に社屋移転。
(延べ面積816平方メートル)
- 1974
- 49年
- 那覇~八重山・宮古電話自動化
- 光文堂印刷所を株式会社に改組。資本金4,900万円。
- 1975
- 50年
- 沖縄国際海洋博覧会開催
- 沖縄国際海洋博覧会の準備協力の功績で沖縄県より表彰を受ける。
- 1978
- 53年
- 交通方法変更の実施(人は右、車は左)
- 1981
- 56年
- 国頭村で野鳥の新種ヤンバルクイナ発見
- 社屋増改築完了。(延べ面積2,165平方メートル)
- 1983
- 58年
- 沖縄国体のテーマ「海邦国体」に決定
- 沖縄市室川2-6-8に中部営業所を開設 電話帳生産会社協議会に加入。
- 1984
- 59年
- 1,000円、5,000円、10,000円の
新札発行
- TQCを導入。
- 1985
- 60年
- 日本電信電話公社、日本専売公社、民営化
- 株)東急エージェンシー及び県内企業3社の共同出資により、株式会社サン・エージェンシーを設立。
那覇市久茂地2-4-23に那覇営業所を開設。
中部営業所を沖縄市美里1-2-4に移転。
- 1986
- 61年
- 松本瑞興取締役相談役黄綬褒章を受賞。
- 1987
- 62年
- 沖縄海邦国体開催
- 1988
- 63年
- デザイン課をクリエイティブデザイン室に名称変更し、企画から制作まで一貫して行う部門強化を図る。
- 1989
- 平成元年
- 年号が平成となる
- 『第15期定期株主総会』で定款を改正、事業目的に広告代理業務を新たに加える。
新社章の制定。
- 1990
- 2年
- 第1回 世界のウチナーンチュ大会開催
- 創業40周年を迎え、各種行事を行う。
- 1991
- 3年
- 沖縄県初の女性副知事が誕生(尚弘子氏)
県出身初の大臣誕生(伊江朝雄氏)
バブル崩壊 地価下落
- 那覇営業所を那覇市久茂地1-1-1 パレット久茂地に移転。
東京営業所を新宿区高田馬場4-2-33 白田ビルに開設。
- 1992
- 4年
- 復帰20周年記念式典開催
首里城復元
- 1993
- 5年
- 全国植樹祭で天皇・皇后両陛下初来県
- 1994
- 6年
- 円相場1ドル=96円40銭の最高値。
村山富市氏(社会党委員長)が第81代内閣
総理大臣に指名される。
- 東京営業所を新宿区下宮比町2-29 JBP飯田橋7階(現飯田橋NKビル)へ移転。
オフセット輪転工場を増築。(延べ面積4,042平方メートル)
- 1995
- 7年
- 外間政憲社長藍綬褒章を受賞。
- 1997
- 9年
- 復帰25周年
- インターネットホームページ開設。http://www.kobundo.net/
ディーバ(沖縄県マルチメディアコンテンツ事業共同組合)設立。
- 1998
- 10年
- 営業組織を6グループ制にし、営業強化。
オリジナルカレンダー「沖縄の彩」販売開始。
- 1999
- 11年
- 沖縄尚学高校が選抜高等学校野球大会で初優勝
- (協)沖縄産業計画創立。
外間政憲社長 オグレスビー氏功労賞受賞。
- 2000
- 12年
- 九州・沖縄サミット開催
- 電話帳カラー化(タウンページ)。
創業50周年。(9月15日)
- 2001
- 13年
- 第3回 世界のウチナーンチュ大会
- 印刷業界県内初ISO9001・14001認証取得。
総合プロセス製版(株)製版部門統合 DPC(デジタルプリプレスセンター)発足。
- 2003
- 15年
- 沖縄都市モノレール(ゆいレール)開通
- 代表取締役社長に外間政春が就任、外間政憲は代表取締役会長へ。
東京営業所を千代田区飯田橋3-11-13 飯田橋豊国ビル(現ダヴィンチ飯田橋)へ移転と同時に、東京支店へ登記変更を行う。
- 2004
- 16年
- 「国立劇場おきなわ」がオープン
- 菊全判6色印刷機を導入、他社設備との差別化を図る。
オリジナル文具「チュラボックス」の販売を開始。
- 2005
- 17年
- うるま市、宮古島市が誕生
- 創業55周年を迎え、創業記念講演をグループ3社合同で開催。
(アシスト30周年、サン・エージェンシー20周年)
- 2006
- 18年
- 県発注土木工事をめぐる談合問題で特A建設業者152社に排除命令
- (有)マイルストーン(平成19年5月株式改組)へ出資を行い、
総合情報誌「ドリッチ」を発刊。
環境に配慮したホットメルト接着方式の短冊式カレンダー綴じ機を導入。
電話帳専用オフセット輪転印刷機を更新。
- 2007
- 19年
- 「集団自決」教科書検定に対する県民大会が開かれる
沖縄県立博物館・美術館開館
- B縦半裁両面四色オフセット輪転機を導入。
- 2008
- 20年
- 沖縄尚学高校が選抜高等学校野球大会で2度目の優勝
- プリントオンデマンド機を導入。可変情報の印刷物や小ロット、短納期のサービス向上を図る。
- 2009
- 21年
- 関連会社の(株)アシスト、総合プロセス製版(株)を統合し、市町村会議録を中心に業務拡大。
- 2010
- 22年
- 興南高校が全国高校野球選手権大会で史上6校目の春夏連覇
- 60周年を迎え社名を【光文堂コミュニケーションズ(株)】に変更。(9月15日)
創業者 外間政憲が沖縄県功労者表彰産業経済部門を受章。
- 2011
- 23年
- 第5回 世界のウチナーンチュ大会開催
- 東京支店を千代田区飯田橋3-7-3 岡田ビル201号に移転。
- 2012
- 24年
- 復帰40周年
- ワイドフォーマットUVインクジェットプリンタ導入。
多様な基材・サイズの高画質プリント対応。
外間政吉監査役が沖縄県功労者表彰一般篤行部門を受章。(10月)
- 2014
- 26年
- 慶良間諸島が国立公園に指定
- 東京支店を千代田区九段南4-5-12 ABEビル6階に移転。
- 2015
- 27年
- 第2次世界大戦の終戦から70年
- 光文堂コミュニケーションズビル落成。(65周年記念事業)
光文堂ロジスティクス(株)を設立。
- 2017
- 29年
- 沖縄本土復帰45年
- 代表取締役社長に砂川幸雄が就任(5月26日)
- 2018
- 30年
-
- 代表取締役社長に外間なるみが就任(5月22日)